井上澄夫さん

 余りに急なお別れに正直まだこの事実を受けとめることができません。
井上さんが倒れられたのは、沖縄県知事選挙のまっただ中でした。
直後、お電話で「意識がない」と伺い・・・その時は「意識が戻られたらいい結果を持ってお見舞いに行きますから」と、のんきなことを申し上げたのを大変悔やんでいます。
 そして11月16日の夜、歴史的な勝利によって私たちは翁長沖縄県知事を誕生させることができ、いつこのうれしいご報告を井上さんに届けることができるかと楽しみにしていました。
 私と共に沖縄で「北限のジュゴン調査チーム・ザン」の活動を担っている浦島悦子さんとも、闘病中の井上さんの回復だけを信じていました。
 12月28日に突然訃報のお電話を頂いた時には、ただただ動転し・・・今に至っております。

 1999年11月「本土」で初の「沖縄のジュゴンの保護」を目的として、野生生物保護に係る市民や学生、研究者による自然保護グループ「北限のジュゴンを見守る会」を立ち上げて以来、「市民運動」の何かも知らない私を縁の下で支えてくれていた方です。また、2004年の辺野古座り込み闘争以後、現地名護に沖縄事務所を開設し、2007年には地元保護関係者と共に「北限のジュゴン調査チーム・ザン」を立ち上げてからも、弥永さんや井部さん、根岸さんらと共に「北限のジュゴンを見守る会」在京事務局として様々な企画を展開、充実した会報「イタジイの森に抱かれて」の編集と発行に情熱を燃やされ、一貫して沖縄の運動を支え続けて来られました。

 加えて昨今の安倍政権による強権政治の圧力が頂点に達し、当時の仲井眞県知事へ執拗に「辺野古埋め立て」承認を迫り、結果、沖縄県知事による公有水面への「埋め立て承認」騒動の醜い取引に対し、沖縄県民の怒りの噴出の中での沖縄県知事選挙でした。

 井上さんは倒れられる直前まで、インターネットを駆使してあらゆる情報を集め、連日連夜「へのこ速報」や「へのこNEWS」としてわけへだてなく「本土」や沖縄の運動体に配信され続けてこられました。
 それは「沖縄の闘いの現場」にどれほどの力を与えてくれたでしょう。
その尋常でない量と質は彼の「沖縄への想いと闘いのエネルギー」そのものでした。 また、彼を支え続けて来られた志茂さんや奥田さん他、多くの方々の情熱の賜物だと考えます。

沖縄の闘いの片隅を担う者として心から感謝します。

 本来ならば、感謝とお別れにただちに駆けつけなければならないのですが、いま「闘いの現場」を空けることができません。そのことは誰よりも井上さんがご理解されると確信し、甘えさせて頂きます。
 けれども、井上さんの強い支えを失い、私たちはこれから最も厳しい「闘い」を『覚悟』せねばなりません。ですから、どうしても「安らかにお眠り下さい」とは言えません。

 私が言える言葉はただひとつ「井上さん、私は決して負けません!」
これから、どんな事態がやって来ようと・・・沖縄のチムググル(心)に賭けて私たちは負けません。どうかしっかりと『見守って』いて下さい。

                    2015年1月7日  名護より
              北限のジュゴンを見守る会 代表 鈴木雅子